神々からの伝言
ユダヤ人救出に尽力、ソ連侵攻阻止
阿万出身の樋口季一郎中将
日当たりの良い斜面には土筆ん坊が背伸びを競っている。東京では靖国神社境内にある標準木で、昨年と同じ21日に数輪のサクラが開花し、昨年に続いて全国に先駆けての開花宣言となった。都会特有のヒートアイランド現象による気温上昇が原因だという。お花見の天候が気になる好季がやってきた。
露国のプーチン大統領が訪日し、安倍晋三首相の訪露が決まった。北方領土返還をはじめ日露間の諸問題を早期に解決し、平和条約締結が加速することを期待するが、日ソ中立条約を1年の有効期限を残して一方的に破棄して昭和20年8月8日に宣戦布告し、翌朝から対日戦闘行動の開始を発令した彼国の歴史も忘れてはならない。
戦時中の北方領土をめぐる攻防で近年注目されているのが、南あわじ市阿万出身の旧陸軍中将、樋口季一郎氏である。彼の英断がなければ、北海道の北半分(留萌・釧路など)はソ連軍に占領され、東西ドイツやベルリンのように2つに分断される悲劇を招いたかもしれなかったのである。
ソ連は参戦にあたっての日本の降伏条件として、トルーマン米大統領に千島列島全島と北海道北半の占領を要求していた。8月15日に終戦の詔勅が渙発され、米国は戦闘を停止し、日本側も戦争が終結したものと思っていたが、旧ソ連軍は南樺太・千島列島から北海道への侵攻を発令した。
ソ連軍は日本軍が本土防衛の最前線としていた千島列島最北端の占守島ヘの侵攻を18日午前0時に開始し、上陸作戦を敢行した。当時、日本軍には18日午後4時に一切の戦闘行為を完全停止する指示が出されていた。北方司令官の樋口中将はソ連軍侵攻の知らせを受信すると熟考したあとの決断で「断固、反撃せよ」と応戦を指示した。
戦車隊が上陸部隊を、航空隊が艦船を攻撃して2万余のソ連軍を撃破した。19日の停戦交渉は不成立だったが、21日午前8時に停戦が成立した。ソ連は「不満ではあるが北海道占領を断念する」と米大統領に回答した。これによりソ連の野望を阻止できたのだった。
ソ連極東軍は樋口中将を「戦犯」に指名したが、米国ユダヤ会議が「オトポール事件」でユダヤ難民救済に尽力した樋口中将救出を国防総省に働きかけ、これが実現したのであった。
昭和13(1938)年旧満州国国境のソ連側にナチスのユダヤ狩から逃れてきた多くの難民を救うために尽力し、満州経由で米国などに開放した功績に報いようと奔走してくれた結果である。さらに、大戦末期にはキスカ島からの奇跡の撤退を成し遂げた。
淡路島の阿万村で奥濱家に生まれ、叔父の養子となり樋口姓となった。軍人には稀な人間愛に満ちた英傑、樋口中将を生んだ故郷淡路がその遺徳を顕彰し、後世に伝える義務があると痛感している。
(伊弉諾神宮 本名孝至宮司)
引用 [ 産経新聞 平成29年(2017年)3月25日 土曜日 ]の記事より
講演 本名孝至氏 「淡路が生んだ樋口季一郎中将」
日時 平成29年 7月29日(土)
午後7時~午後8時
会場 厳島神社社務所
主催 日本会議兵庫 淡路島支部